旧姓: 河合。愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)。
女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していた。
引退後は出身地である愛知県東海市にある実家近くに居を構える専業主婦であったが、
引退後は出身地である愛知県東海市にある実家近くに居を構える専業主婦であったが、
2010年に芸能活動を再開した。
1983年
CBSソニー主催のオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で準優勝となり、
ソニーに所属し芸能界入りのきっかけを作る(優勝は当時中学1年の沢田玉恵)。
このコンテストは楽器演奏を条件としていて、川島みき(後の川島だりあ)や宮原学なども参加していた。
第2回の優勝者が谷村有美ということからも、アイドル系のオーディションとはやや趣向が異なっていた。
しかしその後はレコード会社対抗の運動会にソニー代表で呼ばれた以外は何の音沙汰もなく、
日本福祉大学付属高等学校を卒業後、
日本福祉大学付属高等学校を卒業後、
コンピューター系専門学校に進学する。
おニャン子クラブへの加入
1985年
3月、既に就職も内定していたが、4月から始まるフジテレビの新番組『夕やけニャンニャン』
のオーディションコーナーに出てほしいとの誘いを受け、
のオーディションコーナーに出てほしいとの誘いを受け、
「2日くらいで済むだろうから帰りに原宿行ってショッピングでもしよう」と気軽な気持ちで承諾し、
4月1日から番組内の
4月1日から番組内の
「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の第1回目に出場するや、140点という高得点で合格。この得点は、
立見里歌の142点に次ぐ歴代2位の記録であった。同時に合格した内海和子、
富川春美と共に、翌週からおニャン子クラブのメンバーとして活動を開始。
富川春美と共に、翌週からおニャン子クラブのメンバーとして活動を開始。
つまり、番組には実質的に最初から出演している。おニャン子クラブの中では、
渡辺プロでの後輩にあたる岩井由紀子(ゆうゆ)とともに、
渡辺プロでの後輩にあたる岩井由紀子(ゆうゆ)とともに、
松田聖子の熱烈なファンで知られた。6月の聖子と神田正輝との結婚式の時には、
『夕やけニャンニャン』の時間帯に福永恵規とともにリポーターを務めている。
Sono Kawai (Kawaiiko, June 20, 1965 -) Former singer. Real name: Goto that child (like that).
Nee maiden: Kawai. Chita – gun, Aichi Prefecture Yokosuka cho (present Tokai City).
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